こんにちは、佐々木です。
来る12月1日、文学フリマに初めて出店します。
10代の頃から大塚英志をフォローしてきた私としては、当然ながら「不良債権としての文学」の議論はリアルタイムで追っていたのですが、その議論をきっかけに生まれた「文フリ」に実際に自分が出店するに至るには、ずいぶんと長い時間がかかってしまいました。感慨深いです。
販売するのは、主に以下の3点です。
メインとなるのは文庫版『僕らのネクロマンシー』です。収録されている本文、再版覚書、解説などなど、立ち読み大歓迎です。ぜひお手にとってご覧ください。
また、燕三条の「いづみ商会」さんと作ったオリジナルロゴ入り透明ブックカバーもあります。読んでいる本をあえて見せる、珍しいブックカバーです。こちらは個数限定の20個のみの販売。先着順となります。
そして、しつこく売り続けている大好評の「メディアヌップてぬぐい(河童)」。サンプル品もご用意していますので、謎にハイクオリティな手ぬぐいの品質を、ぜひお手にとってお試しください。
ちなみに、本ブースで商品をお買い上げのみなさまには、さまざまなおまけを用意しています。
メディアヌップステッカー
程洞稲荷神社ガイドマップ
Game of the Lotus 遠野幻蓮譚ピンバッジ
匠の守護者トレカ ブースターパック
などなど、番組のリスナーさんであれば「これが!」と思うようなおまけを多数ご用意しております。
巻末解説(仲俣暁生)
本ニュースレターに、文庫版『僕らのネクロマンシー』に新規収録された巻末解説を掲載します。
私が本書の著者・佐々木大輔さんに誘われて遠野を訪れてから、まだ一週間も経たないというのに、すでにあの土地が懐かしくなっている。頂よりも低く靄がたちこめる山々に囲まれ、麓を流れる川の分岐するところにある小さな町とその周辺の風景が。
『僕らのネクロマンシー』は二〇一八年にNUMABOOKSから限定三五〇部で刊行された、佐々木さんの最初の小説作品だ。この三五〇という部数が、作品の舞台となる遠野地方の伝承を再話したあまりにも有名な『遠野物語』の、一九一〇年に出た最初のエディション、すなわち柳田國男自身による私家本の発行部数に倣ったものであることは、本書にの「再販覚書」で佐々木さん自身が触れている。
その後『僕らのネクロマンシー』はNFTを活用した『A Wizard of Tono』やKindle版による電子書籍に姿を変え、さらに今回、文庫版として四度目のかたちをとろうとしている。このエディションの巻末解説を依頼されたとき、私は思わず「その原稿は遠野で書きたい」と口にしてしまった。結局、二泊三日の遠野滞在中には書きはじめることができず、東京に戻ってから本書や柳田の『遠野物語』を何度も読み返し、ようやくいま筆をとって──いや、キーボードを叩いている。
『僕らのネクロマンシー』は書物としての「心・技・体」のいずれにおいても、柳田國男の初期作品である『遠野物語』へのオマージュに満ちている。それは発行部数や私家本という発行形態のみならず、小説作品としての内容にも及ぶものだ。たとえばネクロマンシー(降霊術)というモチーフは柳田民俗学の主題である「祖霊」と深く結びついている。ITをはじめとするテクノロジーやローカルビジネスといった現代的な主題は、柳田が日本人の生活改良と経世済民、つまりこの国で生きる次の世代の幸せを願ったことと結びついている。そしてウェルメイドなエンタテインメントであると同時に、古典的な教養小説(ビルドゥングスロマン)でもあるこの小説は、それ自体のうちに「書物論」と「物語論」を含むメタフィクションでもある。
そこで、ここからは読者の感興を削がない程度に作品の内容にも触れつつ、本書の魅力を語ってみたい。この小説の主人公ケンスケが「僕に遠野物語の話をさせたら長くなりますよ?」と思わず発した言葉のとおり、それは『遠野物語』という書物の類まれなる魅力を語ることにもつながるかもしれない。
この小説を読み始めてすぐに気づくのは、場面転換のたびにパラグラフの冒頭に漢数字が振られていることだろう。映画のシーンナンバーのようなこれは、『遠野物語』では逸話の切れ目ごとに振られている。一度でも『遠野物語』を通読したことがある人ならば気づくとおり、『遠野物語』に収められた一一九の説話は、その全体が流れるように構成された、一つの長い「物語」でもある。それとは対照的だが、長編小説として書かれた『僕らのネクロマンシー』を構成する三二の断片それぞれも、物語の舞台である遠野の歴史や風土と深く結びついている。
『遠野物語』として構成されたこの地に伝わる逸話を柳田國男に伝えた佐々木喜善は遠野の人で、本書の著者である佐々木大輔さんも遠野出身である。両者のあいだに血縁があるわけではない(遠野には佐々木姓はきわめて多い由)が、『遠野物語』が佐々木喜善/柳田國男という「語る人」と「書く人」のカップリングによってしか生まれえなかったように、『僕らのネクロマンシー』という小説のうちにも「語る人」と「書く人」との二重人格的な関係がある。本作の主人公である元アーキビアン、「代々木犬助」のアカウント名は@doppelgangerだし、「犬」という文字をともに名に背負う三人(犬助、藤原犬田老、村上犬蔵=無添老師)がすべて著者自身の分身であり、相互に分身的関係であることもすぐにみてとれる。単眼の起業家、藤原犬田老のアカウント名は@cyclops、つまりギリシャ神話の巨人サイクロプス。もちろんこれも柳田民俗学の主要な主題である「一つ目小僧」に掛けたものだ。
遠野地方を舞台にしたこの小説は、『遠野物語』だけでなく柳田國男の思想全般とも通底している。それは未来を生きる人々への希望であり、そのためにこそ柳田はフォークロアを採取し、記録したのだ。民俗学は懐古的・ノスタルジックな学問ではなく、現在および未来に開かれた営みだ。時間を過去から現在に向けて因果の鎖として考える歴史学と異なり、民俗学は過去も現在もなく、重層的に存在する時間を対象とする。新しいものがつねに正しいわけでもないし、その逆でもない。
本書の著者である佐々木さんは、最先端のIT企業に長く身を置いた経験をもつ。テクノロジーがもつ最良の可能性も、それがビジネスとなったときに必然的に抱える限界も知り尽くしている。だから「サイバーパンク・ミーツ・フォークロア」ともいうべき『僕らのネクロマンシー』のなかでも、インターネット以後の情報環境となった「カームネット」や、そこにおける知や情報のあり方が丹念に書き込まれている。この小説がすぐれた「物語論」であると同時に「書物論」でもある理由はこのことに負っている。
遠野に戻る以前のケンスケの職業はアーキビアン、書物の内容をネットに移し替えるのがその仕事だ。だがあるとき、こんな問いの前に立ち止まる。
「複製し終えた本と、アップロードされたデータ。どちらが本物ですか?」不幸な事故で左手を失ったケンスケは、義手のなかの大容量記憶装置に「祖母の形見を整理した際に出てきた日誌」をはじめとする個人的な記憶のアーカイブを収め、オフラインに置く。すべての情報が共有されることをよしとする時代にあって、それは反逆的な行為でもある。ケンスケはこの左手をレディと名付けた「使い魔(ファミリア)」に委ね、一種の反時代主義者として遠野で新しい生活を始めようとしているのだ。
無添老師の弟子と自分の記憶を賭けて戦う場面は、エンタテインメントとしてのこの小説のクライマックスだ。知識を断片化し、カードセットとして扱うゲームで対決することを余儀なくされたとき、ケンスケはためらいもなく、自分の記憶を賭け金として張る。書物論、情報論としてとても重要な問いかけが、この場面ではなされる。
この対決を終えた後、ケンスケはケンタロウと、物語とはなにかをめぐる会話を交わす。ケンタロウは遠野で「物語」を商材として新規ビジネスを立ち上げようとしており、ケンスケにこのような言葉で協力を要請するのだ。
「いまほど物語が軽んじられている時代はないよ。物語ることほど大事なことが他にあるか? 物語が人を動かし、歴史を作ってきたんだ。それこそがもっとも人間らしい能力じゃないか。物語は古びたんじゃない。古びさせてしまったんだ。いやそれどころか、消去してしまったんだ。焚書された本が雲の向こうに送られたあと、その文字を読んでるのは誰だ。使い魔だよ。希釈されたデータを摂取して何かを読んだ気になってるんじゃ、どこかの代替医療と変わらない。このままでは人間は、物語る能力さえいずれ失ってしまうかもしれない」
このような物語観をもつケンタロウから誘いの言葉に対して、最終的にケンスケはどのような態度表明をするのか。そこが第三章の読みどころだ。この小説が「物語論」であることの意味もそこで明かされる。
最後に、『僕らのネクロマンシー』は一級の教養小説=成長小説であることも指摘しておきたい。三十代半ばをすぎた主人公は、すでに「青春」と呼ばれる時期を過ぎてはいるが、まだその余韻のなかにいる。過去と決別し、失意のなかで遠野に戻ったケンスケはどのように人生を立て直していくのか。
『遠野物語』の最初のエディションを私家本で三五〇部つくったとき、柳田國男もやはり三〇代半ばだった。田山花袋や国木田独歩、島崎藤村といった自然主義の文学者と共に文学に人生を賭けていた自らの青春を葬り去り、あらたな人生に足を踏み出すため、柳田は『遠野物語』と、それに先立つ『後狩詞記』『石神問答』を自主刊行したのではないか。同じように、佐々木さんにとってこの小説の刊行はなにかへの訣別であると同時に、再出発への宣言だったに違いない。この小説が「心・技・体」のすべてにおいて柳田國男に対するオマージュであるというのは、そういうことである。
出店情報
日時: 2024年12月1日 12:00〜17:00
場所: 東京ビッグサイト 西3・4ホール し-29
公式サイト: https://bunfree.net/event/tokyo39/
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