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小澤征爾が、村上春樹のインタビューに応じて「ディレクション」について次のように語っている。
ディレクションという言葉がありますよね。方向性です。つまり。音楽の方向性。それがカラヤン先生の場合は生まれつき具わっているんです。長いフレーズを作っていく能力。(中略)要するには細かいところが多少合わなくてもしょうがないということです。太い、長い一本の線が何より大切なんです。それがつまりディレクションということ。(中略)この三つの音、これもひとつのディレクションなんです。ほら、「らあ、らあ、らあ」っていうやつ。そういうのを作っていける人もいるし、作れない人もいる。
小澤征爾さんと、音楽について話をする(2011, 村上春樹)
ここでいう「ディレクション」は、もちろん指揮者の技術や資質のことを指しているわけだが、プロダクトマネジメントの一般論としても応用がしやすく気に入っている。
たとえば。
私の場合、長いプロダクトに関わるメンバーのテンションを程よく維持するために途中でどういう山場を作ろうかな、ということを考え、中間アウトプットの納期に異様にこだわったりする。実際には10月第1週までに出来上がっていればよいものでも、9月30日までに達成されていることを強く要求する、など。その後のペース配分に乱れが出てくるとしても、そのときに持っている物を全部差し出してやる。そういう要所をあえて作ってメリハリをつける。だから逆に、しばらくだらけていてもよい期間を作ったりもする。「らあ、らあ、らあ」。太く長い一本の線を描こうとし、かつ、その期間中の意思決定の裁量が与えられていると、そういうことができる。
このようなことをディレクションと呼ぶとき、ディレクション不在のプロダクトマネジメントがどうなるかというと、特に不思議もなく成立する。しっかりとマネジメントされたプロダクトは、タスクがサイズ的にも期間的にもブレークダウンされ、それら細部を破綻なく進めていけば、最後に大きな構造物ができるようになっている。むしろ、ディレクションへの依存度を下げることで、再現性の高い技術と知識の体系としてまとまっていると言うこともできて、それは複雑化し高度化するウェブやアプリのプロダクトを開発する過程で起こった必然的な変化なのだろう。建物や自動車をつくる手法とのクロスオーバーがどんどん進んでいる。
そこでふとナイーブに問うてみる。ディレクションは必要なんだろうか?
オーケストラを指揮し、よい音楽を生み出すにはディレクションが必要だ。しかし、規格通りの建物や自動車をつくるのには必要ないかもしれない。それよりも再現性の高いプロダクトマネジメントが必要とされる。
すると問題は、こう言い換えられる。いまのウェブやアプリのプロダクトは音楽に属する事なのか、それとも建物や自動車に属する事なのか?
かつてそれは音楽に属することだった。重機と工場ではなく、オーケストラによって生み出されるものだった。いまでは、ディレクションの効いた音楽は簡単には手に入らないものになってしまった。
というふうに、サブスタックに向き合っていると懐かしいことを思い出してしまうね。
2020年8月3日