ささきる(@sasakill)が気になったニュースにコメントを添えて、1週間分まとめてお送りします。先日は、妻と二人で玉置浩二の名曲カバーを堪能しているうちに飲みすぎました。
今週のナイン・ストーリーズ
2022年3月23日〜2022年3月29日
1. クリエイターエコノミーの期待と現実とweb3 - Coral Insight
この手の記事はよくあるので、これだけを取り上げて指摘するのはフェアじゃない気がするのですが、タイミングよく見かけてしまったのでどうしても一言。
「クリエイターエコノミー」がプラットフォーム側の都合によるバズワードのままならいいのですが、それが次第に「クリエイターはなぜ稼げないのか?」「もっと稼げなければおかしいのだ」「稼げない仕組みに問題あり」などといった論調になってくると、ユーザー側としてはややうるさく感じてきます。こんなことにこだわっているのはもしかして自分だけなのかもしれないのですが、内的動機でやっていることにとやかく言われたくなくという気持ちがもたげてきます。たとえるなら、自宅近くのお気に入りのラーメン屋さんを人に紹介したら、「でも食べログで星3だよ?」と言われるような感じ。
2.『フォートナイト』全収益をウクライナへの人道支援に充てる取り組みに約43億円が1日で集まる - 電ファミニコゲーマー
これまた取り上げるのはこの記事じゃなくてもいいのですが、タイミングよく見かけてしまったので。
『フォートナイト』などのゲームの世界でこうしたニュースがあったとき、私としては、新聞やテレビが街角の人々の声を取材するように、ゲームのなかのユーザーの声を聞きたいなと思います。いまのところ、現実世界のニュースを取材なしで書くと「コタツ記事」と言われますが、ゲームの世界のニュースを取材なしで書いても「コタツ記事」とは言われません。それは、ゲームの世界がまだ「足を運んで取材すべきだ」とは思われていないからです。でも、もうそんなことないんじゃないかな?
3.「Web2.0」って何だったの? 「Web3」との違いは? ネットに詳しいけんすう氏に聞いてみた - ITmedia
大好物の企画。Web2.0ついてはいろんな人がいろんな視点を持っていて、それを聞くのが楽しい。ただ、視点とは別の時事に関する部分で気になったことがあったのでコメントしたみたいと思います。
ゆかたん: 2020年代前後、Twitterが普及して以降、ネット上で、ユーザー同士の分断が露わになったというイメージがあります
イメージに突っ込むのは野暮な気がしますが、それをいうなら事実に近いのは2016年。Twitterが時系列のタイムラインをやめ、Facebookでケンブリジックアナリティカの問題が起こった年です。ちなみに、WELQ問題が明らかになったのも同じ年。SNSや検索エンジンが返してくる結果がハックされ、「ネットはどうやら信頼ならないものらしい」という認識が2017年にかけて一気に広がりました。
その背景のひとつは、マシーンラーニングやディープラーニングの普及です。DeepMind社のAlpha Goが人間の棋士をやぶったのが2015年、トップ棋士の柯潔をやぶったのが2017年。Web2.0の後期はスマホとAIの時代だったわけで、それによるSNSや検索エンジンの急激な進化がユーザーとの信頼関係にヒビを入れました。
けんすう: 一方で、「分断はおきていない」とも結構言われていて、大半の人は両論を見た上で、割とバランスよく意見を変えたりするという事実もあるらしいです。
ちなみに、けんすうさんが発言した「分断しない」論で有名なのは田中辰雄先生の研究。著書もありますが、ここでは気軽に読める記事を紹介します。
https://synodos.jp/opinion/society/23196/
4. 日本発「ちゃんカルチャー」がQのゆりかご ウソ見抜けなかった人々 - 朝日新聞デジタル
連載のなかに、昨年「論座」でQアノンに関する連載をしたルポライターの清義明さんのコメントが出てきますので、それを紹介したいと思います。この指摘こそ、UGCサービスを長年運営してきた私がこの問題から目を離せない理由です。
清は「無名だから発言の責任は負わなくていい、ウソであったとしてもだまされる方が悪いという文化は、2ちゃんからできた」と言い、それがQアノン現象につながっていったと分析する。
「ネットは使う側の自己責任だ、プラットフォーム側に責任はない、というのを、いわばネットのルールのように広めてしまった。法的な責任がないとはいえ、その点では、西村に道義的な責任があると言える」
5. Lobsterr vol.155 Human Curation
ニュースレターの執筆陣にゲストを招き入れるという優れたやり方を紹介するなかで、「Perfect Imperfect」共同創業者のタイラー・ベインブリッジのインタビュー(参照)が紹介されています。同じくニュースレターを発行するものとして、「すこし年上のクールな兄姉や友人のような存在」というコンセプトがとても印象的に響きました。
「Perfecrtly Imperfectは、自分のアルゴリズムバブルから抜け出して、新しいものに出会うのに最適のニュースレターだと思うんです」と答えている。毎回のゲストを選ぶときに彼が大切にしていることについては「ぼく自身の好みやテイストを覆すようなもの、あるいはこれまで知らなかった新しいものを薦めてくれる人。何かを売るためでなく、自分の世界や趣味の一部を共有するためにものを紹介してくれる人を選ぶようにしています」と語る。
「SpotifyのプレイリストやNetflixのレコメンデーションをそのまま受け入れている人にとって、このニュースレターが、すこし年上のクールな兄姉や友人のような存在になれればいいなと思っています」というベインブリッジの言葉も印象的だった。
関連して思い出したのが、若林恵さんによる「メディアの価値は声の大きさではなく耳の良さ」論(参照)。印象的なところをまるっと引いてみます。実にそうありたいものだと思います。
若林:よく企業から、「オウンドメディアをやってください」という話が来るんですけど、基本断っちゃうんです。というのも、メディアの捉え方が間違っていると思うからで、企業はメディアを基本「発信装置」だと思っているんですよね。
なので、メディアを作れば自分たちの声がもっと届くだろう、と、まあこういう想定をしがちなんですが、その発想がどれだけ下品かというと、みんなでカラオケ行って自分の番になったときだけ、自分のボリュームをあげる、というのと似た発想だからで、そんなヤツ鬱陶しいだけじゃないですか。「自分たちの声が届かないのは、自分たちの声が小さいからだ」って思って、どんどん声をでかくしていかねばって、高額の拡声器を買い続けるヤツと友だちになんかなりたくないですよね?(笑)
メディアの価値って、「声の大きさ」ではなくて、「耳の良さ」に宿るんですよね。『週刊文春』をみんながこぞって読むのは、声がでかいからではなく、そこが、ほかが聞き逃したり、見逃したりしている情報を掴むことができているからですよね。つまりは、アンテナの精度の高さであって、受信装置としてのクオリティなんですよ。
6. 変わるニュースレターの使われ方。ジャーナリズムとの接続の課題 - Scribble
海外で人気のニュースレター「Popular Information」のステートメントが紹介し、このような心の通った宣言を持つことの重要性を気づかせてくれました。
私はソーシャルメディア、特にTwitterが大好きです。しかし、政治情報の主要なソースとしてソーシャルメディアに依存するのは非常に危険だとも思っています。
ソーシャルメディアを通じて受け取る情報は、数十億ドル規模のハイテク企業がコントロールするアルゴリズムによってフィルタリングされています。その会社の目的は、あなたに情報を提供し続けることではなく、利益を最大化することです。
https://popular.info/about
実は、メディアヌップをはじめるときにも、そのステートメントというかパーパスを記述しようと試みたことがあったのですが、いまだやり切れずにいます。理由は、それがあまりにパーソナルなものだったからです。それを掲げたところで他人を戸惑わせてしまうだけなのではないか。もうちょっと考えてみます。
本文も刺激的だったのですが、文末の「ちなみに……」に特に刺激を受けました。引いてみます。
「哲学者のジョン・デューイ(John Dewey)はすべての芸術の形態について、わたしたちが人生で行うことには、それを結晶化して抽出し統合するための芸術形態があると考えました……」
ユタ大学准教授のC・チ・ングェン(C. Thi Nguyen)、ポッドキャスト『Ezra Klein Show』でこんなことを語っています。
「絵画はものを見るという経験を結晶化して純化したものです。わたしたちは日常のできごとを語り合いますが、小説はこれを結晶化して純化したものなのです。(中略)
ゲームは演じることの楽しさを結晶化し純化しています。ゲームをやっているとき、わたしたちは人生で一度だけ、自分が何をしているか、何ができるのかを正確に把握しています。そして、それをするためにちょうどいい分量の能力を保持しているのです。濃縮され結晶化された行動という感覚です。
「Gaming Culture is eating the World(ゲーム文化は世界を飲み込む)」と考え、最近はTRPGで演じるゲームそのものにハマっている自分としては、非常におもしろい考え方でした。なるほど、結晶化か。
ちなみに、演じるゲームのおもしろさについて語っているのはポッドキャストの第4話です。
8. 企業がPodcastを配信する前に、心がけるべきこと
@ayohataさんが「企業やパブリッシャーでpodcastやってるところはみんな聴いた方がよいレベルの内容だと思う。まじで」と紹介していたので聞いたところ、まじでした。ポッドキャストをある程度聞き込まないと実感できないことがコンパクトにまとまっていますので、これを聞くだけでアンチパターンが避けられます。たとえば、聞き手を固定せずにリスナーを戸惑わせちゃう、とか。ポッドキャストを検討しててまだ聞き込んでる自信がない人にとっては必聴だと思います。
9. ナラティブって何? - IT戦記
およそ4年ぶりの更新! なんだかうれしい。
最近目にすることの増えた「ナラティブ」という言葉の用例をひろってその意味をよく理解しようという趣旨の記事。
個人的には、社会学に親しむなかでナラティブという言葉を覚えたんですが、実際に声に出して使うようになったのは最近。かつては「まず意味が通らないだろうな」という感じだったのが、最近は「もう使ってもOK」という雰囲気があり、遠慮せずにどんどん使うようになっています。仕事でも「もっとナラティブに文章を書いて」というようにリクエストすることがあるし、そういえば、過去にドミニク・チェンさんと遠藤拓海さんと鼎談したときにもそんな話をしました。
佐々木 今現実に世界中で起こっている国が二つに分かれるということに対して、ストーリーでそれを推し進めようとしている人間と、ナラティブでそれに抗おうとしている人間の対立なんですね。日本語ではどちらも「物語」と書くしかないんですけれども、ストーリーとナラティブ、別物じゃないですか。与えられるものと、自分が感じているものを語るものと。
ドミニク 主観性ですね。
佐々木 そう。主観性による語りというのは違う。主観的なものこそ今すごく大事で、曖昧で言葉が与えられなくて複雑で、主人公はそういう物を大事にしている。だから相手には与しないと。お前のわかりやすい話には乗りたくないんだと思ってそうなるわけですけども。
ちなみに、小説『僕らのネクロマンシー』はプリント版を2018年に出しましたが、今年やっと、とある趣向を加えてデジタル版のリリースを予定しています。どうぞお楽しみに。
あとがき
なんだか朝早く目覚めてしまって、暗いうちから書いてます。
そういえば昨晩は、telさんと宮本さんから2次会か3次会にあたる時間に「今から来ませんか〜(酔)」と急にお誘いがありました。「宮本さん、東京に来るんなら早く言えよ」って思いましたが、こうやって夜中に飲食のお誘いがある事自体がひさびさで、楽しい気持ちになりました。春ですね。