おはようございます。二週間ぶりの発行です。その間に、このフォーマットだと読んだ本の紹介をしづらいことに気づきました。具体的には、以下の五冊の本を紹介するタイミングを見つけられずにいます。
心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学 / ニック・チェイター
ストーリーが世界を滅ぼす―物語があなたの脳を操作する / ジョナサン・ゴットシャル
脳は世界をどう見ているのか 知能の謎を解く「1000の脳」理論 / ジェフ・ホーキンス
Slowdown 減速する素晴らしき世界 / ダニー・ドーリング
複数の本にまたがって感想を述べたいのですが、それには、Twitterはおろか、ニュースレターですら速すぎるフォーマットで、長い話につきあってくれるメディアを選ばないと書けないという。
もし現代に柳田國男が生きていたら、当然のように、脳と人類学と社会学を横断しただろうなと想像するのですが、そういうような話です。情報を伝えるために生まれた最初のメディアが「伝承」で、最新のメディアが「NFT」であるとか、異なる物事を関連付けようとする人間の能力が「物語る」という能力の最小ユニットで、それをハイジャックしようとするストーリーとそれを防衛しようとするナラティブがあるとかそんな話。どうしようか考え中です。
今週のナイン・ストーリーズ
2022年8月3日〜2022年8月16日
1/ NFT楽しいですか? みなさん飽きていませんかねぇ。
この二週間、私が観測していたNFT界隈の気分がよく表現されているツイートだったので取り上げました。他にも、同様のツイートがいくつも見られました。
私はもともと「ジェネラティブのPFPのWLをゲットしてハイプ作って勝ち確×爆益」(意味わかりますでしょうか?)という世界に興味がなかったので、こうした気分の変化には左右されないのですが、このような楽しみ方も含めてWeb3の生態系が成立していることにはポジティブです。「お金の匂いのしない使い方こそがWeb3のメインストリートである」といった言説は傍観者の戯言だと思っていますので、当事者たちによる生臭い所感には強い関心があります。
ちなみに、遠野の新規NFTプロジェクトは、「Not ジェネラティブ」「Not PFP」「Not WL」「Not ハイプ」なものになっていますが、資産性を否定するものにはなっていません。そのようなバランスを心がけています。
2/「無駄遣い」はNFTのユースケースであり、素晴らしいコミュニティを創造する
少々長い記事なのですが、簡単に言うと、「無駄遣いというシグナルが情報の非対称性を埋めてコミュニティの構築に良い影響を与えるのだ」ということが書いてあります。
これで思い出すのは、ニクラス・ルーマンの「複雑性の縮減」という考え方です(日本語訳 1990年)。世界の複雑性はあまりに高くそのまま理解するのはとても難しいので、なんらかの方法でそれを縮減・単純化することで私達は世界を理解しているのだ、とする考え方です。具体的には、文系エリートが新聞などのジャーナリズムを通じて縮減するだとか、理系エリートが検索エンジンなどのアルゴリズムを通じて縮減するだとか、そのような解釈に応用されます。
それを敷衍して考えると、マスメディアやメガプラットフォームから距離を取ろうとするWeb3が頼るのはコミュニティであり、それを構成する人間関係の複雑性を縮減するのにNFTがうまく使われている、ということになります。それをこの記事では非対称性を埋めるシグナルと呼んでいるわけです。
お金の無駄遣いを煽っているように読まれてしまうとまたWeb3の評判が落ちてしまいそうですが、この考え方はWeb3に独自なものではありません。意外と古くからあり、研究の蓄積もある分野です。
3/ Web3をめぐる「物語」のすれ違い リオタールのポストモダン論から考える
「Web3」と「国家戦略」というキーワードの本質的な相性の悪さについての話。
Web3界隈の動向は、確かに仮想通貨による巨額の投資利益、ベンチャーキャピタルによる投資、NFT等を通じたアートの高額販売、ゲーム等をすることで対価を得る「X to earn」など、経済活動に繋がるものも多い。従って、Web3に経済成長への貢献を期待するのも無理からぬことである。
しかし、もう一歩掘り下げると、Web3とそれを生み出した思想は、そもそも「経済成長」や「効率性」といったシステムや物語への貢献を目指していたのだろうか、という疑問も生じる
過去にも、WIREDの松島編集長の言葉を引きながらニューレターのなかで紹介したことがありましたが、この話題が今度どのように受け止められていくのかとても気になっているので、継続的にとりあげたいと思います。
個人的には、政治家が「Web3を国際競争力の切り札に」と言う場合には「そうお考えなのだな」と思うのみなのですが、Web3をよく理解しているはずの技術者やエヴァンジェリストが政治家のこうした言葉をスルーしている場合には「ポジションだんまり」なのかなと思ってしまいます。都合が悪くならない限りは黙っている、というような。どうなんでしょう?
ちにみに、同じ著者・高木聡一郎さんの「分散と集権の循環サイクル Web3の後には再び集中時代が来るか?」は、根がWeb3リアリストにできている自分として非常におすすめです。「限定された合理性(bounded rationality)」という考え方を用いて、完全な分散の実現がそもそも期待できないことを説いています。
4/ Guild.xyzが進化:プラットフォームレスな会員制
わくわくするアップデートがやってきました。何種類かのトークンとDiscordをつなげるだけだった以前の状態から、一気に対応サービスを増やし、コミュニティを自分(たち)で所有するためのツールに進化しようとしています。
コミュニティは束縛されず、集団として流動的に動けるものであるべきです。ギルドは、オールインワン・プラットフォームに対するアンチテーゼです。私たちのゴールは、コミュニティが共有、交流、共同作業を行うためのすべてのプラットフォーム間で、完全な相互運用性を構築することです。
たとえば上の図にはGoogle Workplaceのロゴが見えます。Deworkにはできないあれやこれやが解決するのでは? という想像がとまりません。たとえばこう。
トークンゲートグループ、トークンゲートドキュメント、トークンゲートリレーションシップ。メディアヌップでも、早速試してみるつもりです。
5/ ゲームはWeb3において「マルチロールゲーム」になるのではないか
ここでマルチロールゲームと呼ばれているものをリストアップしてみます。
トレーダー
投資家
コレクター
ゲーム開発者
セカンダリーマーケット開発者
ゲーム内作家
実はこれ、Web3に特有のロールではなくて、遊びと所有が一体化しているトレーディングカードゲームの世界では29年前から起こっていたことで(Magic the Gatheringの誕生は1993年)、知っている人にはおなじみの構造だったりします。トークンによってデジタルの世界でも所有が実現できることで、やっとこれら複数のロールの楽しみ方が実現できるようになった、というわけです。
なお、トレーディングカードゲームの世界ではもっとロールが多様化しており、ぱっと考えただけで次のようなものが浮かびます。
野良フォーマット開発者
野良トーナメント運営者
拡張アートクリエイター
原画取引商
ゲーム内ジャーナリスト
などなど。これらすべて、ゲームから生まれた資産がプレーヤーの手元に所有されているからこそ起こることです。
ちなみに、といいながら自分のプロジェクトの話ばかりしてしまいますが、こうした知見を遠野の新規NFTプロジェクトにはつぎこんでいます。
6/ 2022年の注目技術は、没入感やAIなど--ガートナーの2022年版「先進技術ハイプサイクル」
便利なハイプサイクルの最新版。メディアヌップ的な注目はこのあたりでしょうか。
よく言及されるWeb3は、過度な期待のピーク期のピーク間近にある。NFTは、幻滅期にへ入りかけている。
実感とマッチしており、順調に成熟のステップを歩んでいる途中だと思います。今回、より注目したいなと思ったのはこのあたり。
メタバースに至ってはビジネスや社会に強い影響を及ぼす技術へ発展するまで10年以上かかるとしている。
メディアヌップではメタバースの話題は基本的に無視してきましたが、これもまた実感にマッチする内容でした。今後もその方針でいきたいと思います。
7/ 21世紀のテクノフォビア 第1回 テクノロジーの歴史は「機械ぎらい」の歴史
チャップリンの『モダンタイムズ』とか「ラッダイト運動」のような聞き慣れたエピソードを想像したら、冷蔵庫嫌悪の話からはじまりました。めちゃくちゃおもしろい。
かつて、”冷蔵庫嫌悪(ブリゴリフォビア)”なるものが存在した。19世紀後半のパリでのこと。ブリゴリフォビアたちは青果市場に並んでいた野菜類が、人工的に冷やされて保存されたものだと知った途端に怒り出したのだ。当時の冷蔵庫はまだ電気式ですらない時代。でもそれはばりばり最新のテクノロジーだった。
ちなみに、拙著『僕らのネクロマンシー』には、主人公が師匠格にあたる人物を「テクノフォビア」となじるシーンがあるのですが、「機械ぎらい」はものすごく掘り下げ甲斐のあるテーマだと思ってずっと注目していました。
テクノロジーの発展は、テクノロジーをおもしろがり前に進めようとする発明者の存在だけで前に進んできたわけではない。それでは人類は滅びてしまうというテクノフォビア的なブレーキ役も伴って発展してきたのだ。
楽しみな連載です。
8/ Midjourneyで話題のAI絵画は歴史的には要するにカメラである
この二週間の話題といえばなんといってもMidjourneyでしょう。私のようにTRPGをする人間からすれば、セッションに使うハイクオリティな画像を生成できる最高のツールです。これを使いこなす効率的な「呪文」についてはすでに多くの記事が書かれていますが、この記事はそれとは違った切り口で、AI絵画とは要するにカメラで、もっといえば「目」であるという風に読みました(そう書いてあるわけではありませんが)。
この記事を読んで思い出したのは、未来学者のAmy Webbが2019年から使い出した「Synthetic Media」(合成メディア)という言葉。当時の資料のリンクを引っ張り出してきました。55ページ目から。
Synthetic Mediaという言葉が生まれた背景には、AIの技術の進歩によるDeepFakeや、SNSの隆盛によるバーチャルインフルエンサーの登場(つい最近の日経の記事を貼っておきます)があります。これらを組み合わせると何が起こるか? 私たちはバーチャル空間上で、自分好みの容姿と趣味に最適化されたAIのインフルエンサーによって大きな影響を受ける、というような未来像です。それはいまも一部で進行中の出来事なわけですが、こうした合成メディアは、何もSNS上のバーチャルインフルエンサーに限った話ではなく、メタバース上のバーチャルサイトシーイング(仮想観光)のことも想像させます。
そう考えたとき、人物や背景がSynthetic Mediaなのではなく、バーチャル空間上における目であるカメラこそがSynthetic Mediaと呼ばれるべきじゃないのかと、いしたにまさきさんの記事を読んでそんなことを思いました。
退屈なルームランナーのお供として世界の国立公園をPOV形式で撮影した動画がすでに定番になっていることを思えば、AIによって無限に生成される快楽的な映像はすぐにその居場所を見つけるかも知れません。
9/ インフルエンサーはもう下火、これからはオーセンティシティー
あまりに真に受けすぎないほうがいいと思います。
送り手と受け手の中間がないミドルレスな情報空間では、メスマディアやインフルエンサーが大きな影響力を発揮します。一方、誰もが送り手であり受け手となるようなヘッドレスな情報空間では、隣人の言葉(UGC)が大きな影響力を発揮します。
ということは、ミドルレスな子ども向けの情報空間では引き続きヒカキンをはじめとするYouTuberが活躍するでしょうし、一方、私のようにポッドキャストとニュースレターとDiscordとメッセンジャーにどっぷりのヘッドレスな情報空間にいる人には、インフルエンサーの声はとどきません。そういえば実際、「ほっとテック」を聞いてChromeOS Flexをインストールし、「かいだん」を聞いてマンションブログを読み始め、「ドングリFM」を聞いて蕎麦屋で飲んだりしてました。
しかし思い出してほしいのは、隣人の言葉だから本物だ(オーセンティックだ)と思っていた時代に私たちはWELQ事件もケンブリッジ・アナリティカ問題も経験しました。一方はDeNAによる検索エンジンのハック、一方はCA社によるSNSのハック。攻撃されたものは違いますが、失われたものは共通しています。隣人の言葉の信頼です。
マーケッターたちやコンサルタントたちが今になってふたたびUGCを持ち上げようとする風景を眺めるときには、過当競争が行われているインフルエンサーの世界とは別のニッチを見つけようとしているビジネスパーソン的生存本能を考慮に入れたほうがいいと思います。彼らの提案に向いている情報空間もあれば、そうでない情報空間もあり、本物もいれば、偽物もいます。そう思っておくのがよいと思います。
カメレオンのような器用さを持たない私の考えは一貫しています。UGC最高。これまでもずっと。
あとがき
先日登壇したSlowNewsのイベントが記事になっていました。Web3とニュースの未来という私にとっては荷が重いタイトルがついていて恐縮なのですが、そのなかで「Web3文脈で再発見されるコミュティとはなにか?」ということを話しています。答えは簡潔で「資産を共有する集団」です。この定義を自分で発見できたことが、さまざまなアイデアを考える際の材料になっています。ご笑覧ください。
最後に。たまにはこちらでも宣伝しようと思いますが、Discordサーバーを運営しています。よろしければニュースレターの話の続きをしに遊びにきてください。
https://discord.gg/CNhDFFhqtR