ニュースレター開始以来もっとも間をあけてしまいました。4週間ぶりの配信です。新年度でバタバタしていたのが理由です。しかもその4週間というのは、GPT4がリリースされてからの4週間とちょうど重なります。9本だけしか紹介しないという制限のなかで、さて何を書きましょう。ワクワク。
今週のナイン・ストーリーズ
2023年3月15日〜2023年4月11日
1/ GPT4の発表
触れないわけにはいかない3月15日に行われたGPT4の発表。震源地となったのはOpenAIによるこの動画。手書きのワイヤーフレームがワーカブルなソースコードになるというデモンストレーションです。
しかし、というか、実は、というか、あまり驚いていません。この動画もそうだし、このあと起こった4週間の出来事についても、『僕らのネクロマンシー』というSF小説を書くことを通じて2022年〜2023年の出来事を幻視した「知識や技術を、魔法(プロンプト)やカード(プラグイン)を通じて誰もがそれを使える世界」の範疇にあるためです。
変わらないといえば、巨大企業の地政学にも大きな変化は起こらなかったようで、ビル・ゲイツの「AIの時代がはじまった」、イーロン・マスクの「AI研究にブレーキを」、エリック・シュミットの「半年間の研究停止は中国を利するだけ」、サム・アルトマンの訪日ロビイング、いずれも、時間をかけたら予想できるような内容です。いまのところ。
まったくあたらしい驚くべきことが起きたというよりも、過去の連続のうえに予想されたことが起こった、という感じです。その辺りの話は以下の記事で。
ChatGPT、何が問題か 元グーグル社員「非常に無責任で無謀」
ちなみに私の小説では、AIによる死人が出たことで(作品のなかでは「集団自殺事件」としています)、AIの研究や能力に規制がかけられるようになり、先鋭的集団は潜伏してさらに加速主義的になる、と書いています。あたらないでほしいと思っていますが、遠からず死人が出るのは避けられないと思います。
ちなみに、ChatGPTの活用によって数多のサービスやツールが生まれ続けているのはご存知の通りですが、私が特に関心をもった記事をひとつだけ紹介します。
エンジニア兼SF作家がGPT-4執筆支援を実戦投入できないか実験してわかったこと
具体的で、非常にいい記事です。
2/ AI時代の人間性
では逆に何に驚いたかというと、AIとWeb3が交差する部分です。「AI時代の人間性」という記事を提供しているWorldcoinは、OpenAIの共同創業者サム・アルトマン氏と物理学者アレックス・ブラニア氏が2020年に設立した仮想通貨プロジェクトです。
乱暴にいうと「会話や創作によって人間とAIの区別がつかなくなった世界において、本人確認はより重要になる」という前提で話がスタートし、その方法としてWeb3としてお馴染みのゼロ知識証明やDIDの考え方が出てきます。
メディアヌップの#083のなかで「AIとWeb3の交差点におもしろい話が出てくる」という話をしていますが、そして番組のなかではそれが何かわからないで言っていますが、その一例がこういうことなのかなと。過去の歴史や地政学だけでは想像できなかった、こういう話には驚かされます。
3/ 坂本龍一が亡くなる
驚かなかったといえば、坂本龍一の死です。この1〜2年、心の準備をしてきたんだなと気付かされました。思い出がたくさんあり、それらについて一本録ろう思っていますが。
今回はとりあえず、細野晴臣が「ひれ伏すよ」と言い、ケンイシイも「この曲よりスゴい曲がこの世にあるのか?」と言った「Riot in Lagos」(1980年)。
4/ 土偶を読むを読む
趣旨はこのあたりに。
『土偶を読む』をなぜ批判するのかといえば、開陳されているその考察は、事実の上に成り立っていないということが大きいからです。かねてから恣意的な資料の見せ方を批判してきましたが、もっと問題なのは、いくつかの事柄は、事実であるように見せるために「改変」もしています。これは瑕疵のように小さな傷ではなく、もっと本質的な部分にあたります。
さらに看過できないのは、過去の研究を都合よく利用した上で軽視し、さらに敵視する姿勢です。これははっきり言って不快で、出版後にはあらぬ批判によって、一部で風評被害まで起こしています。こういった謂れのない考古学界(専門知)批判が評価されていることにも憤りを感じています。
『土偶を読む』の記事やイベントや本が話題になったときに、無批判にそれに「いいね」したすべての人に読んでほしいと思います……ってお前は誰だって感じですが、一読者です。ただ、一読者として、過去の研究を敵視する筆致に「(これは、信頼していいのか?)」と疑ったひとりです。メディアリテラシーの実践にもなりそうな本として注目です。
5/ 焦点:「作者」はいったい誰なのか、AI生成作品が招く著作権論争
たとえばこういう意見があります。
ミズーリ州のコンピューター科学者スティーブン・セイラー氏は、自身の開発したAIプログラムには意識があり、プログラムが生成した作品や発明の創作者として法的に認められるべきだと主張している
一方で、こういう意見があります。
訴訟に参加しているアーティストの1人サラ・アンダーセン氏は、AI生成作品に著作権を与えることは「窃盗の合法化だ」と語る。
相反する意見ですが、どちらも、「著作権というものがある社会」を前提にしている点では同じです。
自分としては、生成AIの登場によって、近代以前には自然に受け入れられていた「群れとしての作者がいて、固有の著作権を主張しない世界」が現代の感覚のなかに甦ることを楽しみにしています。UGC狂としては「もともとそういうもんだったんじゃないの?」という感覚を堂々問い直せるのがおもしろいと感じています。
6/ 本の値段は、小説の値段ではない。https://twitter.com/numabooks/status/1642024410457710593
これは、「新潮社、村上春樹氏新作の限定本を10万円で発売へ」というニュースが評判が悪いことに対して内沼さんが発した感想です。
私は以前、こういうことを書きました。
筆者はふと、暖炉と本棚のことを連想する。
部屋を温めるエネルギーが石油や電気に変わってから、自宅に暖炉を構えるのはファッションになった。同様に、情報の取得という機能をデジタルメディアに譲ってから、立派な本棚をしつらえるのはファッションになった。それが悪いと言いたいのではない。逆である。暖房やインプットという機能が本質であるかのように錯覚するが、モノが纏っているファッション性もまた、欠かせない本質なのである。薪をくべない暖炉が部屋を温めることはないが、それは所有者の別の何かを満たすのだ
同様に、本の値段は、小説の値段「だけ」ではない。限定本の発売、大いに結構だと思います。
7/ 日記の時代
https://twitter.com/numabooks/status/1639963509177081857
日記こそが本であり、本はみな日記になる。多かれ少なかれ、そうなる。 AIがまとめたものに、その人そのもの、すなわち日記的な要素をつけ加えることが、ほとんど、執筆という行為に近くなる。
ここから第二幕という感じがする。いまこそ、日記を書こう。書きはじめよう。書くべきことの中心は、ほとんど、それだけなのだから。
これも内沼さんのツイート。大いに共感しました。
これを読んで、メディア荒廃記の次回は「ダイアリーとブログ」をやりたくなりました。ブログを簡単に書けるChatGPT拡張ツールをたくさん試すにつれ、ブログを書くことにどんどん興味を失っている私は、いまや「ニュースレター」と「日乗」(というタイトルの会員向け日記)しか書きたくなくなっており、その逆転が実に興廃記っぽい。
8/ 箱に収まりきらないゲーム
以下の画像は、たまたま目に飛び込んできたMagic the Gatheringというトレーディングカードゲームの開発者の言葉なんですが、私がこれまで知らないものだったので、いま新鮮な気持ちで「まさに!」と思って取り上げます。
なんで「まさに!」と思ったかというと、私が「Tales & Tokens」というサービスでやりたいと言っている「ゲーム」という言葉は、まさにこういう意味でのゲームだからです。
真に人を魅了するゲームは、人を画面に釘付けにしたり、中毒にさせたりするものではなく、遊んでいない時間の体験や人間の関係をよくするものです。私は本当にTCGの影響を深く受けているんだなと自覚しました。
9/ おまえは今すぐ『ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り』を観にいけ
https://diehardtales.com/n/n3acff2b66e51
まったく期待していなかったところから、今年最高の映画と呼んでもいいくらいに格が上がりました。
TRPGの基本構造である単純なクエストの数珠繋ぎと、荒唐無稽な解決方法。パーティで知恵を出し合って、ゲームマスターがサイコロを振ることを許してくれた時にたまに生じる奇跡的な解決、あるいは大ファンブルが非常によく再現されていましたた。
よく構築された映画やドラマの脚本に慣れている人にはそれがご都合主義の子供騙しにみえるかもしれませんが、その背後には、奇跡を生み出すアイデアと即興の演技をひねりだし、ダイスロールに勝ったプレーヤーがいるからなんだよなと、そう感じされてくれような、まさにTRPGの元祖D&Dの映画という感じでした。最高。
そしてこのおもしろさが、大金をかけた映画じゃなくても、紙とペンとサイコロをもって集まったら起こるってがTRPGなんですよね。それをあらためて教えてくれる最高の教材でした。
自分が子供の頃に『グーニーズ』や『インディジョーンズ』を観て感じた興奮を、息子にも味わってもらえるかもしれないと思い、今度の週末には息子と息子の友達をさそって吹き替え版を見に行くつもりです。
あとがき
複数のプロジェクトをやることには慣れているはずなんですが、そのほとんどが同じ4月にはじまってしまったことで、「おっ」という感じになってます。陳腐な言葉ですが「がんばります」。
ちなみに、最近、古風な名前というか、守名乗りというか、ミドルネームがほしいと思いまして。大岡越前守忠相のような感じで、佐々木林檎守大輔、みたいな。それが変な具合に着地して、Twitterのアカウント名を「ササキル・ザ・スターシーカー」と改名しました。明るく輝く星をつないで星座をみつけるのじゃなくて、星のない暗黒森林のなかに、小さくてもいいから最初の星をみつける、みたいな意味です。言い換えれば、星座は解釈で、星は事実です。なんとでも言えてしまうインチキじゃなくて、確かなものを探すことに時間を使いたいと思います。
今回のタイトル、気に入ったので何かほかの事にも使いたい。