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2010年と2020年のロケタッチ
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2010年と2020年のロケタッチ

World-centricな地図と、Me-centricな地図の話

sasakill.eth|佐々木大輔
May 29, 2020
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2010年と2020年のロケタッチ
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ロケタッチ(2010 - 2015)という名の、いまでは終了してしまったサービスがある。

それについて「話しを聞かせてほしい」という人からの連絡が年に一度ほどある。今年もすでにあった。それは私の知らない人たちで、先様は私が企画者であったことを調べてFacebookで連絡してくる。聞かれることは共通していて「自分たちも地図のサービスを企画しています。ロケタッチにどんな課題があったのか教えてください」とかそんなこと。

終了して何年も経っているサービスなのに、それを調べてわざわざ尋ねてきてくれるのがうれしくてインタビューにお応えするのが常なのだが、なんというか、2010年と2020年では市場環境に大きな隔たりがあり過ぎて、自分の答えがいまではなんの役にも立たない感じがして次第に気が滅入ってくる。2010年にInstagramが、2011年にLINEが、そして2012年にはSmartNewsが生まれた。それより前の話なんだから、前提がまったく違うんだよね。

ただ、今でも有効だなと思えるコンセプトはあって、つい最近そのことを思い出した。

ロケタッチは、「地図」というWorld-centricなインターフェースに、自分なりのレイヤーを重ねてMe-centricなものに上書きしようコンセプトをもっていて、それを「ぼくとなかまの ぼうけんのしょ」だとか「ざっくり言って、セカイ。」と表現したりしていた。いま思い返せばわかったようなわからないようなコピーだが、World-centricなものを「世界」、Me-centricなものを「セカイ」と書き分けたということだ。

このことをもうちょっと詳しく説明する。

紙やPCで見る地図には、自分が含まれていない。まず世界だけがあって、その後、必要に応じて現在地を把握することではじめて地図上に自分の位置をプロットできる。しかしこれも、ただ地図を眺めるだけであればやる必要のないことで、そこに自分がなくても成立する。これがWorld-centricということ。

一方、スマートフォンで見る地図には、自分が含まれている。いや、含まれているというか、まず自分こそがその中心にあって、地図のほうが自分に含まれている。人は世界を見たくてスマートフォンで地図を開くのではなく、自分に関心があって(つまりセカイを見たくて)そうする。目的地まで行くとか、いいお店を探すとか、天気の変化や混雑状況を知るとか。これがMe-centricということ。

かつては、PCで開いたGoogle Mapの地図をプリントアウトして客先のビルを訪ねるなんてことがあったけれど、スマートフォンが普及したいまとなってはそのような行動をとる人はもういない。そのとき、同じサービス名ではあるけれど、Google Mapはもうかつてと同じGoogle Mapではなく、地図もかつてと同じ地図ではない。そうした意味の変化を捉えて、サービスとしてかたちにしたのがロケタッチだった。

そのロケタッチはもうないけれど、このMe-centricな感覚というのは、SNSの普及もあいまって世の中のあらゆるものを捉える際のスタンダードになった。それを私は「天動説から地動説へ」と表現することもあるが、簡単にいうと「インターネットの登場と、ソーシャルメディアの普及によって、人々は自分を中心にして情報の価値を判断するようになりました」ということ。

最近SmartNewsに実装された「雨雲レーダー」も、実にMe-centricな、地図の意味の変化を捉えたうえでユーザー体験がデザインされている。しかもそれは、注意して読み解かないと見逃してしまうくらい自然にデザインされている。

ふと、そうかそういうことかと思う。

スマートフォンによる革命に、みんなの意識がまだ追いついていなかった2010年においては、ロケタッチのように尖ったコンセプトを世に問う意味もあったし、それを喜んで使ってくれるユーザーもたくさんいた。しかし、スマートフォンによる革命が終わり切った2020年においては、それが自然にデザインされてプロダクトに溶け込んでいることが重要で、そうであればこそユーザーに受け入れられる。

だから、いまになって「ロケタッチにどんな課題があったのか」を答えるのは気が滅入る。答えてもいまの市場環境においては意味があるとは思えないし、なにより、死んだ子供の年を数えるのは愉快なことじゃない。私はそれを自分の子供のように思っていた。

2020年5月29日

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4 Comments
morichin
Writes 晴耕雨読 - Tiny newsletters from Ky…
May 30, 2020

ロケタッチはWorld-centric に対するMe-centricアプローチとして、2020年のように完成されて溶け込んだ体験を提供するのではなく、2000年代のように自由なCGMを提供するのでもなく、余白のある遊び場を提供していた感じだったなと思いました。

そしてこのsubstack は2020年とは思えない懐かしさがありますねw

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1 reply by sasakill.eth|佐々木大輔
Arino
May 29, 2020

これがDaisukeさんとの出会いだったかも?です。当時勤めていた会社で「ロケタッチ」したくてお願いした記憶があります。

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1 reply by sasakill.eth|佐々木大輔
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