メディアヌップ|丘原から、夜の言葉で

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遠野戦記: 三

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遠野戦記: 三

The Dark Age of Tono

sasakill.eth|佐々木大輔
Feb 12
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遠野戦記: 三

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 西暦1615年、大阪夏の陣のあとのことである。
 駄賃付けをしている仲間のひとりが急病を患い、安良衛は仲間とふたりきりで六頭の馬を引いて峠を越え、トオヌップの市まで行かねばならなくなった。すでに土地の言葉に不自由がなくなっていた安良衛は、ハンマー家や駄賃付けの仲間からの信頼も得ていた。しかしその魁偉な容貌は相変わらず。仲間と安良衛は目立つことを嫌って、ほっかむりを深くかぶって街中に入ろうと打ち合せて出発した。
 両手の数よりも馬の数のほうが多いといういつもと勝手違いの道中のおかげで到着が遅れ、アオザサ村から中心街に入ろうとする頃にはすでに日が落ち、黄昏時になっていた。空はまだぎりぎり黒と見分けのつく濃い紺色で、赤茶けた雲が盆地を囲む山々の稜線上にかかっている。しかし山はすでに影に包まれて表情を失い、山裾の闇は盆地の底まで這い寄ってあたりを塗りつぶしていた。

 そこに――。
 妖しく耀く街が視えてきた。
 トオヌップの混沌の中心地、ナベクラ

1
である。

 トオヌップでは、一のつく日と六のつく日に市が立つ。今日はその一日市。スワンプ王国が治めていた時代にすでに馬千匹、人千人の賑わいと謳われていた市は、暗黒時代になってさらに活況を呈した。政府の力が弱まったことで、税のかからない取引や、禁制品の売買、密偵たちの情報収集に百姓
2
たちの過激な憂さ晴らしなど、これまでなら隠れてやっていたようなことを誰憚ることなく公然と行えるようになったのである。
 もちろん、無政府状態といえども、スワンプ王国のあとにトーヌップを治めることになっている者はいる。それがスルガという男である。
 ところがこのスルガ、人望がない。
 それもそのはず、スルガは第14代スワンプ国王・ヒロナガを裏切ったクーデターの首謀者三人のうちのひとりなのである。もしヒロナガが圧政を敷く悪王であれば、評価一転、スルガは英雄になったのかもしれないが、さにあらず。北の関ヶ原と呼ばれた慶長出羽合戦
3
の応援に行ったヒロナガ王の留守をねらって大儀のないクーデターを起こし、隣国のサウス王国の後ろ盾を得て領土を奪ったのがスルガたちなのである。
 暴力や知恵が悪より生まれでたものであれ、真に優れていれば人々はそれに納得もする。しかしスルガたちは凡人だった。ヒロナガ王を追い出したクーデターは実のところ、ダンディ王国との衝突を避けながらも領土を拡大したいサウス王国が、裏で手を引き三人をそそのかして起こした事件にすぎなかったのである。それを証拠に、トオヌップに誕生したのは何の権限もないサウス王国の傀儡政権であり、ナベクラにやってくる田舎者の駄賃付けから通行税を召し上げる実力さえなかった。

 ナベクラに足を踏み入れた安良衛たちは、市が開かれている一日市通りへ真っ直ぐ向かった。すれ違うのは、トオヌップに通じる七つの街道からやってきた駄賃付け、農民、漁民、町人、商人、職人、坊主、修験、武家、女郎。聞こえてくるのは客引きと値切り、喧嘩と怒声、音曲と嬌声、子供も泣けば犬も吠えている。肩をぶつけずには歩けないような大混雑であった。
 現代の人々がこの景色を思い浮かべるときは、太平の世の時代劇とは違った点をひとつご考慮いただきたい。子供から坊主にいたるまで、誰もがなにかしらの武装をしているのである。十手かと思うものはダガーであり、錫杖かと思うものはスピアである。そしてこれら武器のうち、少なからぬ数を卸しているのがハンマー家であり、安良衛ら駄賃付けがそれを運んでいるのである。

 その混乱のなかに安良衛は幽き呼吸音を――、視た。

 毒々しく糜爛した景色のなかに、あたりと溶け合わぬ、白く凍結したような空間が残されていた。その空間の中心に目をやり、耳を傾けると、細く長く深い呼吸をして歩いている女がいた。年の頃は17歳か18歳。何処かに用事があるようでもなく、誰からの用事もないようだった。孤高であり、消えてなくなりそうでもあった。訓練と意思なしに行えるものとも思えない呼吸、常人に気づくことのできないその幽き音を、安良衛だけはこの喧騒のなかに視ることができた。
「(あの人は何者だろう?)」
 安良衛は気になって、すれ違ってしばらくしてからも何度も振り返った。

 集荷場について積荷を降ろしていると、番頭が海の方のなまりの混じった言葉で仲間に話しかけた。
「ずいぶんおそかったじゃないか」
「峠で馬っこが暴れてよ。人手が足りないんで手こずっちまって」
「そいつはご苦労だった。で、こっちのほうが新入りかい」といって番頭は安良衛のほうに顔をふった。安良衛はほっかむりを深くかぶったまま会釈し、仲間が代わりに紹介をした。事前に打ち合わせたとおり、安良衛は町で一言も話さないことになっていた。
 番頭はじろじろとこちらを見ていたが、やがて他の話題を思い出して仲間に言った。
「ところで、このあとはナベクラ山で例の見物か」
「なに、祭りでもあんのかい」
 そういうと番頭は少し意外そうな様子で「あんたら犬松からなにも聞かなかったか」と言った。
 仲間は、道中の遅れを取り戻すために村境の東屋には立ち寄らなかった旨を告げた。すると番頭は、大事な報せを一番に人に伝えられるときの喜色を顔に浮かべて言った。
「スルガが切腹する」

(つづく)

1

鍋倉 鍋倉山およびそこに建てられた鍋倉城、あるいはその一帯のこと。

2

百姓 ここでは「農民」という意味ではなく、網野善彦のいう「あらゆる職業」という意味

3

慶長出羽合戦 1600年。西軍の上杉景勝と東軍のと最上義光・伊達政宗の戦い、北の関ヶ原とも呼ばれる。東軍が勝利した。

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